日々ログ

ただの日記です。

3月30日(土曜日) 迷走中。

日記を書き続けたいとおもっても続かない。

日記を書きたいと思っても書けない。

なにをやっても中途半端。

このブログ自体を削除しようか、それとも一部の記事だけ削除しようかとも思ったけれど、全部ありのまま残しておきたいという気持ちもあるのでこのままにしておこうと思う。

なにがなんだか・・・。

迷走している自分。

1月22日(月)

曇り時々雪 除雪当番

 

  • 10時から15時半まで清掃と売店の仕事
  • 団地の管理会社への連絡
  • 支払いすぎたNHKの受信料の返金を受けるため郵便局へ行く
  • 帰宅後、雪かき
  • 夕食後、町内会の役員会議

今日は仕事も含めやらなければならないことが沢山あって、もう心も頭もパンクしそうだった。本当に自分は許容範囲が狭い。

町内会の役員会議、今回が最後になる会議だったみたいで5000円の報酬をもらった。NHKから返金された受信料と一緒に銀行へ入れる。はやく生活防衛資金100万円を貯めたい。

2024年1月21日(日)

去年の10月に1年ぶりの日記を更新したものの結局3ヶ月ここを放置してしまった。

ここにお母さんと過ごした最後の夜について記録として書いておきたいと思っているのだけど、思い出したくない書きたくないという気持ちがあってどうしても日記を書く気になれなかった。

とりあえずお母さんのことは置いておいて、いまは日記を書くことをなんとか習慣化させたいと思っている。できることなら死ぬまでずっと日記を書き続けたい。なにをやっても中途半端、何者にもなれなかった、なにもできなかった、なにもなし得なかったからせめて日記だけは続けていきたいなあと思っている。

1年ぶりの日記

1年ぶりに日記を書きます。

去年の9月26日の朝、母を亡くしました。

それ以来日記を書くこと読むことができなくなって、ここから遠ざかっていました。

また少しずつ自分の日々の生活を記録できたらいいなと思います。

 

 

きょうは簿記初級の勉強をしようと思い、メルカリでテキストを購入しました。

 

9月25日(日)

きょうもお母さんの様子を見に病院へ行った。

ときどき大きな口を開けて呼吸している。なんだかとても苦しそうに見えたけど看護師さんの話ではそうでもないらしい。お母さんと目も合うけど私のことを分かっているようには見えなかった。

 

看護師さんから今晩から泊まり込みをしても良いと先生の許可が出たと知らされる。

亡くなるまで15分の面会しかできないと思い込んでいたのでちょっと動揺してしまい今晩の泊まり込みは見送ることにした。看護師さんもあくまでも個人的な見立てですがと前置きしたうえでまだ時間はあると。明日から泊まり込んでも大丈夫じゃないかと言っていただいたのでそれを信じて明日から泊まり込みをしようと心が傾いた。

 

お母さんの元へ行く直前、突然おばがうちに来た。おばさんの話ではきのうお母さんのところへ面会に行ったようだ。おばとは15分くらいしか会話をしなかったけど、お母さんよりずっと元気そう。

 

家にいる間はずっとYouTubeを見ていた。